仲間との出会い
最終更新: 2020年1月9日

前にお話しましたが、私は中南米をはじめとして、世界中の音楽が大好きです。
ほとんどの人が知らないような、地域や時代の音楽、ミュージシャン、歴史まで、けっこう頭に入っています。
そんな私の「偏ったデータベース(友人がこう表現しました)」と、注釈なしで会話ができる数少ない仲間が、那須に住んでいます。
彼は、山の上の方で、とても美味しい蕎麦屋さんを営んでいます。
音楽への愛情、深い知識と幅の広さ、探究心は私の及ぶところではありません。
もちろん、レコードのコレクションもかなりのものです。
私は初めて、昔のSP盤、というものをここで体験しました。
1930〜40年代頃の、見た目はレコードですが、私たちの知っているLP盤とは異なります。

専用の再生機があります。
念願かなって手に入れた極上品とのこと。
なんと、音量の調整ができません。
電気を使わないからです。
もちろん手巻き式です。
針を落とすと、バチバチ、という音の後に、音色が立ち現れます。
私は、はじめてその音を聴いて、驚きました。
すごい臨場感。
高音域から低音域まで、モノラルで再現される、ぶ厚い音のバイブレーション。
先ほど音色、と書きましたが、まるでそこに、演奏家あるいは歌手が、立ち現れるようです。
私にとって、まったく新しい音楽体験でした。
お客さんが帰ってしまうと、木漏れ日のさす、吹抜けの広いフロアで、窓の外の美しい林を眺めながら、いい音楽を聴く。
そして、語り合う。
素敵なライフスタイルです。
そう、たしか私が、キューバ旅行の報告をしに、行った時だったと思います。
キューバの人たちは、みんな幸せ。
物は少なくても、楽しい生活と、まわりの仲間、家族と、いい環境、いい音楽・・・。
他にいったい何が必要なの?
キューバの人が、私に言った言葉です。
そう、他に何が必要?
音楽を一緒に聴きながら、お互いこの言葉に、力強く共感しました。
それからの一年、私はこのテーマを、さらに深く、学んでいくことになりました。

那須のコーヒーイベントから二日後。
いつもながら東京に戻りたくなく、名残を惜しんで、蕎麦と音楽で過ごしていると、お店の電話がなりました。
これから柴田さんが、蕎麦を食べに来るとのこと。
イベントでは、コーヒー関係者でもない私が、わざわざ話をかけにいく余裕もありませんでした。
どちらかと言うと、エチオピアと出会ったこと、そこに至る旅の経緯、なんかのディテールを聞いてみたい、と思っていました。
私はといえば、最近やっと中米に行って、コーヒーのおいしさに初めて感動し、興味をもった、ことくらいが、話のフックでしょうか。
今こうして書きながら、あらためて、その時点での私の「コーヒー関係度」が、その程度であったことに、驚きました。
すでにこの時、何かしらコーヒービジネスを始めようとしていたように思いましたが、それは、記憶による勝手な、先走りだったようです。
SP盤の古い音楽を聴きながら、柴田さんから、たくさんのお話を伺うことができました。
そもそもなぜエチオピアに行ったか、そこに行きつくまでの、長い道のり。
さまざまな人との出会い、そして、それぞれの、きっかけ。
結果として、そこに行きついた、長いストーリー。
多くの人に知ってもらえるのは、ほんの最後の、断片でしかありません。
あるいは、それしか必要とされないことも、多いかもしれません。
私も、キューバやパナマ、そして、いまここにいること、に至った道のりを、ほとんど全て話したと思います。
不思議です。
これからの出会いもそうですが、何かきっかけを与えてくれる人とは、知らずに自分の辿ってきた道のりを、ほとんどすべて話してしまうようです。
もちろんお互いに。
しかも、はじめて会った、その短時間で。
これまで、があるから、これから、がある。
この時、まだ近くはないけれど、自分の進むべき航路と、その先に見える陸地が、かすかに、でも確固とした存在で、見えてきました。
生きていく、長い航路で出会う、水先案内人。
おなじ、旅をする仲間です。