カフェと人との出会い、ふたたび
最終更新: 2020年1月24日

ここは、ブラジル・・・?
赤い小さな道標を頼りに、「山奥の」カフェを目指します。
実際は山奥でなく、むしろこの地域では、鉄道や幹線道路よりも、標高の低いところにあります。
ただし、かなり人里離れています。
最後は、ともすれば見逃してしまいそうな、林の小道に入り、そこから車で登っていきます。
もちろん、舗装などされていません。
林の中をさらにガタガタと揺られながら進むと、初めての来訪者はまず、不安を覚えることでしょう。
ほんとうにこんな「山奥」にカフェが。。
すると、カフェの名前が彫られた、立派な石碑が現れます。
そこから木立は明るくなり、登り切った丘の上に、木造の建物が見え、そこにカフェがあることがわかります。
美しい、建物です。
丘の上にそびえるように立つその様は、長崎のどこか小さな島の、古い天主堂を思わせます。
車を止め、外に出ると、驚きました。
明るい自然林に囲まれ、鳥がさえずり、空は広く、やさしい風の吹く、そこは明らかに別世界です。

なぜか、とっさに私は、まだ行ったことのない、ブラジルの農園を連想しました。
自家菜園もやっているようですが、もちろん、コーヒーなど育つ気候ではありません。
ブラジルのどこか、自然の中の農園にいるような、そんな感覚にさせてくれる風景です。
お店のドアを開けると、あの優しい、満面の笑顔が迎えてくれました。
数年前、ねばり強く探し続けた末に、ようやく見つけた理想の土地。
少しずつ、自分たちで手を加え、生活する人と、そして、ここに来る人にとっても、居心地の良い場所に仕上げて行く。
ここに来た帰り道は、いつも、よし、何かをやろう、という気持ちになっているから、不思議です。
ブラジル。
思い当たりました。
セバスチャン・サルガド。
ブラジル出身の有名な写真家です。
大自然に息づく生命と、人々の姿を、美しいモノクロームで描き出す彼の写真は、見る人の心を、容赦なく惹きつけます。
ある時は、広大な北極で、アザラシの群れと過ごし、またある時は、アマゾンの奥地で消えゆく熱帯雨林に暮らす人々と生活を共にする。
彼の写真のテーマは、地球上の、さまざまな環境に生きる人々と、そして、失われつつある、かけがえのない自然のメッセージです。
写真家としての、長く、時には苦しい旅ののち、妻のレリアと、あるプロジェクトに取り組みます。
他でもない、自分たちの土地を、再生することです。
子供の頃はワニと戯れたりして、かつて自然の豊かだった故郷の土地は、いまや干上がり、荒れ果ててしまっていました。
それは彼が、ルワンダの内戦を取材して、心傷つき、疲れ果て、失意とともに故郷に戻った時、目にした光景です。
レリアが立ち上がり、まずは1本の木を植えました。
もちろん、簡単に育つわけがありません。
でも、大変な努力と、いろいろな人々の協力もあって、その後、木は増え続けました。
そして、故郷の土地は、再び、自然のサイクルを取り戻したのです。
彼らの研究と実践の成果は、森の再生プロジェクトとして、今では、世界各地で活用されるほどになりました。

「一つのサイクルをつくる」
セバスチャン・サルガドが、自らの人生について、語った一言です。
彼の役割は、大きなサイクルの中の、小さな一つのサイクルを、完結すること。
人生は不思議なものです。
まさか、その芸術家と、実際に会って話す機会がめぐってくるのですから。
何年も前のこと、サルガド夫妻が来日したことがありました。
講演会があるというので、もちろん、見に行きました。
終了後、集まった人たちと、歓談する時間があり、レリアとも話をすることができました。
とても気さくで、おおらか、そして情熱のある人です。
彼らのストーリーと、そして、土地を再生させるプロジェクトに、感動したことを話しました。
彼女は、じっと相手の目を見つめ、一言ひと言、力強く、こう言いました。
「まずは、やり始めること。行動しなさい。そうすれば、助けてくれる人が、自ずと集まってくるから。」
それから、ずっと長いこと、私の中で、サルガド夫妻の話は、記憶の奥に、深く沈んだままになっていました。
実は、これを書いている、いまの今までです。
そうだったのか。
カフェの外に広がる風景と、それからのち、パナマで何度となく体験することになる、あのデジャヴ。
すべてはこの、「再生」のストーリーから、一つにつながっていたのかもしれません。
いえ、どうやら、つながっていたようです。
このカフェと、人との出会いから、これまでのすべてのめぐり合わせは、私が次の世界へ足を踏み入れる「きっかけ」となり、音を立てて動き始めました。
あるいは、記憶の底で、レリアの言葉が、語りかけていたのかもしれません。
とにかく、行動しなさい、と。